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システムエンジニア
大学卒業後、U銀行が親会社のIT企業に入社し、システムエンジニアからスタートしました。SEになった理由は、大学時代にアルバイトでSEの方が働く姿を見て、私自身、新しい技術を日々学習することに苦はなく、お金が稼げそうだと思ったから。
扱っているシステムは金融系が中心で、私はリース会社の基幹システム保守開発の部門に配属され、オープン系の営業管理システムの保守開発を中心に担当していました。客先に常駐してシステム開発を行っていましたが、とても息苦しい環境で、体調を崩し、適応障害の診断を受けて2か月ほど休職してしまいました。
社会人になって、いきなりつまづいてしまいましたが、これが私の原点であり「職場は1日の大半を過ごす場所だから、そこで楽しく生き生きと働けることは何よりも重要」だと感じました。休職したことをきっかけに所属部門長との面談を経て、SEを卒業し本社部門へ異動することになりました。
本社の技術開発部門にて人材育成を担当
復職後、本社部門にて社員の技術教育に携わることになりました。具体的には社員向けの技術研修の企画やIT資格の取得推進などで、新人研修に携わることもありました。
社員の前に立って、冒頭で研修の目的や企画の意図を話したり、講師と打ち合わせをしたり、現場での運営作業は楽しくやっていましたが、技術教育の施策を立案、実施、評価のサイクルを回していくにあたり、担当役員への企画書・評価報告書などの文書を作ることが多く、開発現場でロクに文書を作ってこなかった私は大苦戦していました(最終的に役員のOKが出るまでに13回資料を作り直したり…)
【中小企業診断士を目指す】
現場で社員の声を聞いていて、社員が求める研修を企画したいと思い提案をするものの、それが通ることはなくなんだか仕事が空回る…そんな時、中小企業診断士という資格を知りました。
会社のこと、経営のことがわかるようになれば、もっとうまく仕事を進められるようになるのではないか…それに、いつかは自分で事業をやれるようになったらいいな。
興味はあったのですが、1000時間の勉強時間が必要と聞いていて、残業もある中、両立できるかとても不安だったのですが、追い風が吹きました。
「来月から残業は禁止です」
経営層から指示があり、今まで残業していた時間がぽっかり空くことになるので、これはチャンスだ!と思い、早速予備校へ通い始めました。当時は残業時間が減ってラッキー!くらいにしか思っていませんでしたが、今思うと世の中はリーマンショックだったり、悪い方向へ進んでいて、会社の経営状況も危なかったんだなと感じます。
会社が合併して総務部門へ異動
中小企業診断士の勉強を始めて、会社のこと・経営のことが分かってきた矢先、会社が合併をすることになり、人員整理もありました。技術教育関係の仕事は好きで続けたかったのですが、続けることはできず総務部門へ異動になりました。
オフィスの構築や施設管理の仕事をすることになり、工事業者のおじさんたちに囲まれて訳も分からず工事の立ち会いをしたり、社員からオフィス環境について文句を言われることも…。
勉強を始めて3年目、なんとか20代で中小企業診断士の資格を取得しました。資格取得後は、事業診断のコンサルティングレポート作成や書籍の執筆プロジェクトに参加したり、会社の外で資格を活かす・維持するための活動に注力しました。
本当は、会社の中で資格を活かして活躍したかったのに、会社合併で不本意な人事異動・出向・転籍となり、技術教育の企画ではもう生かすことができず、腐っていた期間が数年ありました。転職活動もしましたが、なかなかうまくいかず、手駒がなくなってきた頃に、たまたま役員・部長と面談をする機会があったので、
副業とか自己啓発ではなく、本業としてもっとちゃんと仕事がしたい!
せっかく取った資格がこのままでは更新できない!
と伝えて、自分ができることをアピールしました。これをきっかけとして、中小企業診断士の資格を活かせる業務を任せてもらえるようになりました。
子会社で中小企業診断士の資格を活かして働く
転籍した子会社で中期経営計画編成チームに参画させてもらい、経営環境の分析や経営計画の策定に携わりました。会社を良くするための提案もたくさんしました。役員から「君がやりなさい」と後押しをもらい、自らの意思で実行できたことがたくさんありました。
新しい事業の創出、企業イメージの革新、社内のコミュニケーションの活性化、社内報の創刊、業務改革など。自分が策定に参画した3年間の中期経営計画を終えて、計画の通り実現できたことも多く、会社が成長・発展していると感じられたことが会社員時代で一番印象に残っているよい思い出です。
半期に1回、経営計画発表会というプレゼンテーションの機会があり、私はそのイベントが好きでした。他の人の発表を見るのも好きでしたし、所属組織の発表がどこよりも「映える」ことを目指して資料を作成し、自ら発表することもありました。
社会保険労務士を取得する
会社で「楽しい」と思うことが1%でもある間は、
会社で組織の一員としてがんばろう!
そう思いながら、仕事をしていましたが、それがずっと続く保証もなく(会社合併を経験し、会社をアテにして生きてはいけないと危機感を覚えました)、いつかは自分で事業をやりたいという思いはあったので、ある時期の週末に創業スクールに通っていました。そこで、
中小企業診断士だけでは独立は難しい。
独占業務のある社会保険労務士の資格があるといい。
とアドバイスをもらい、社会保険労務士の取得を目指すことにしました。
直前の模試では、下から数えた方が早いくらいの絶望的な成績だったので(下位20%)、半ば合格は諦めていましたが、本番の試験が「あ、なんか今日が一番できている…」と奇跡が起き、初受験で合格することができました。何が起きるかわからないので、ダメだと思っても試験はちゃんと最後まで受けることが大切です。
障害を持つ人と一緒に働く
親会社の総務部門での業務も並行して行っていたのですが、オフィス移転という一大イベントがあり、その中心メンバーとして新しいオフィスの構築に携わりました。この時からグループ特例子会社に所属する障害を持つ方たちと一緒にオフィスサービスを推進することになり、私は彼らの仕事を獲得するためグループ内企業へ営業活動をする役割を担っていました。
これまでも障害を持つ方と同じ職場で働いたことは何度かありましたが、後味の悪い経験もあり、当初は不安を感じていましたが実際、障害を持つ方たちの働きぶりは素晴らしく、信頼が置けるものでした。彼らの働きのおかげで、私も自分が得意な仕事に集中できるようになり、オフィスが清潔で綺麗になり、会社全体や職場の雰囲気がよくなったことを実感しました。
世の中で、彼らがもっと活躍できるようやれることはないかと考えるようになり、障害者福祉・就労の知見を持つパートナーと連携し、障害を持つ方の就労や職場定着の支援も今行っています。
そして独立へ
会社で「楽しい」と思うことが1%でもある間はがんばろう、と資格取得後も会社員を続け、組織のマネジメントも経験し昇格のチャンスもいただけたのですが、会社も環境も自分も時が流れて変わっていくもので、いつかは自分で事業をやりたいという思いを実現させるのは今なのかなと思い、2021年に会社員を辞める決断をしました。
とりあえず決断して、それから動いたので、開業の準備が万端だったわけではなく、開業してから初めて経験すること、初めて学ぶことばかりで必死な毎日です。「まずはいろいろやってみる」をモットーに挑戦をしています。
これまでの通り、いろいろな業務を経験してきているので、いろいろなトピックスが散らばっていますが、様々な業務や多くの方との出会いを通じて、得意なことや事業を確立していきたいと思っています。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました!